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山梨県立甲府東高等学校同窓会 甲府東高蒼龍賞

「甲府東高蒼龍賞」は、甲府東高等学校の同窓会員および生徒が、学術・文化・産業・スポーツ等の活動によって、社会において顕著な功績を挙げたことを称え、甲府東高等学校同窓会より贈る賞として、平成24年度に制定されました。
以下に受賞者を紹介します。
尚、「甲府東高蒼龍賞」の推薦等については、「甲府東高蒼龍賞」の推薦についてをご覧ください。

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平成26年度 甲府東高校蒼龍賞 受賞者

平成26年度 甲府東高校蒼龍賞  受賞者

 
望月 建爾 (もちづき けんじ)さん(21期生・理数コース1期生)

1982年甲府市生まれ。博士(理学)。現在、岡山大学大学院自然科学研究科助教。氷や水の相転移機構を分子レベルで解明する研究を専門とする。昨年、氷の融解は結晶内にある分子1個分の歪みから始まり、非常に小さなきっかけが大規模な構造変化を引き起こすことを、世界で初めて明らかにし、権威ある世界最高峰の学術誌「ネイチャー」(英国)に掲載され、表紙もその写真で飾られた。平成25年10月には、母校の創立記念講演会の講師として全校生徒の前で講演をおこなった。

(略 歴)
2000.04-2002.03 横浜国立大学 工学部(中退)
2002.04-2006.03 名古屋大学 理学部化学科
2006.04-2008.03 名古屋大学 理学研究科(修士過程)
2008.04-2009.03 名古屋大学 理学研究科(博士過程)
           日本学術振興会特別研究員(DC1 化学)
2009.04-2011.09 旭硝子株式会社
2011.10-2014.03 総合研究大学院大学(分子科学研究所)
2012.05-2012.11 ケンブリッジ大学化学科へ研究留学
2014.04-現在 岡山大学大学院 自然科学研究科

(おもな受賞歴)
第4回 日本学術振興会 育志賞 :天皇陛下の御即位20年に当り、御下賜金を賜り創設された賞。授賞式典では、秋篠宮同妃両殿下と研究内容についてお話をした。
第19回 総合研究大学院大学 長倉研究奨励賞
European Molecular Liquids Group/Japanese Molecular Liquids Group Annual Meeting 2013 (Lille, France) Poster Prize
第4回 総合研究大学院大学 学長賞
愛知県 若手研究者イノベーション創出奨励事業「第7回わかしゃち奨励賞」 優秀賞

平成25年度 甲府東高蒼龍賞 受賞者

平成25年度 甲府東高蒼龍賞 受賞者

大橋 洋之(おおはし ひろゆき)さん(2期生)

 2期生である大橋洋之さんは,昨年,権威ある日展(日本美術展覧会)において,特選を受賞されたほか,これまで数多くの書道展で受賞をされ,山梨県の書道界を担う存在でいらっしゃいます。昨年度は,母校東校で春季特別講座の講師として,後輩達の育成のためにご尽力くださいました。甲府市役所新庁舎完成を記念誌,作品の寄贈をされ,報道された事は記憶に新しいところです。当同窓会では,大橋さんのこのようなご功績に対し,本年度「甲府東高蒼龍賞」をお贈りすることを決定し,総会当日に,大橋さんをお招きして,表彰式が執り行われました。

主な役職
日展会友
読売書法会常任理事
謙慎書道会常任理事
山梨県書道会副理事長
山梨県書作家連盟理事

主な賞歴
2000年 第17回読売書法展 読売新聞社賞
       第53回山梨芸術祭書道展 芸術祭賞
2010年 第27回読売書法展 読売準大賞
2011年 第28回読売書法展 読売準大賞
2012年 第44回日展 特選

平成24年度甲府東高蒼龍賞受賞者成島氏と同窓会長との対談

日本を代表する映画監督となられた成島出さんと、同窓会会長の守木会長(二人とも1期生)に、高校時代の思い出や当時の状況、そして後輩に伝えたいことをお話ししていただきました。

守木会長(以下 守】)今回、映画界でのご活躍をたたえるということで、賞を贈らせていただきました。
成島さん(以下 成】)ありがとうございます。
守】 成島さんがこれまでの人生の中で培ってきた感性が、意図的にも、もしくは意図していないうちにも、今のお仕事にいろいろな形で反映されているのではと思うんですよね。中でも高校時代にスポットを当てて、振り返ってみましょうか。例えば部活動とか。
成】 帰宅部でしたね(笑)。自分が何組だったかもおぼろげで…。でも、理系と文系で頭の良いクラスがあって、僕らが一番落ちこぼれのクラスだったのだけは覚えてる(笑)。
守】 高校時代のことって案外覚えてないこともあるんですよね。では、印象に残っている先生っていますか?
成】 僕は映画監督になったぐらいなんで、やっぱり、ちょっと変わった生徒だったんですよね。ある意味反抗的だったしね。今思えば、先生にずいぶんひどいこと言ってたなーと思うんだけど(笑)、当時は先生って大人だと思ってたから、いろんなことをぶつけてみた。そうすると、教科書に載っているようなことは教えてくれるんだけど、ほかの大事なことを聞くと答えてくれないっていうことがあって、僕は生意気にもそれを「なんだよ」って思ってた。まあ、僕自身が青かったんですけど、そういう時期だったんでしょうね。僕は本当に学校の勉強が嫌いで、「山本五十六が開戦したのは何年でしょう?」って言われても全然頭に入ってこなかった。でも、山本五十六の人生がこうあって、こう生きてきた男が、ここで決断しなきゃいけなかったっていう歴史は全部入ってきて、今は歴史学者とも対等に話せるようになった。この歳になって勉強してると、当時もっと勉強しておけばよかったなとも思うけど(笑)。今になってみると「先生は大変でしょうね」って言えるんだけど、当時は「なんで?」っていう思いばっかりでしたね。
守】 山本五十六さんの話も今出ましたけど、映画監督や脚本家って文化の世界の話だから、国語や社会とかが好きだったのかなと思うんですが。
成】 中学の時は好きでしたね。でも高校のテストで、夏目漱石が「何を思ってこれを書いたか」っていう読解問題が出たとき、絶対これだと思って選んだ答えがバツだったんですよ。僕は今でも自分が正解だったと思ってるんだけど、そういったことでなんだかギプスをはめられていくような気がして、どんどん興味を失っていった。
守】 月並みな言い方かもしれないけど、文学の解釈なりなんなりについて、自分としての強いこだわりを持っていたことがうかがえますね。
成】 高校の時はあんまり勉強が好きじゃなかったけど、映画のための勉強ならすごくするんですよね。今僕が受験生だったら、結構いい成績を残せると思いますよ(笑)。
        ◇
守】 高校時代、映画という分野に興味はあったんですか?
成】 いや、全然。興味が出たのは卒業してからですね。
守】 映画の世界へ向けて踏み出した第一歩は、どんなものだったのでしょうか。
成】 二十歳過ぎたころ、自主映画が僕らの世代ではやってた。仲間で撮り始めたのが最初です。コンテストに応募した作品がたまたま入選して、ある監督に「映画監督になりたいんならおれの所で助監督しろ」って言われて。それからですね。
守】 ひとくくりに映画といっても、映像や脚本などいろんな分野がありますよね。
成】 僕は自主映画を撮って、助監督をやって、脚本をやって、監督になった。当時は一番多いパターンでした。最近は自主映画からポンと監督になる人もいるので、ずいぶん遠回りですよね。
守】 お話を伺っていて思うのは、強烈にこだわりを持って物事を解釈したり、それを貫いたりっていう姿勢があったからこそ、それが映画で花開いたのかなと。
成】 高校までは生きにくさや、窒息しそうな閉塞感を感じていた。僕らはオウム(真理教)世代なんですけど、あれに走った彼らの心情はすごく分かるんですよ。僕だって映画に出合ってなかったら、どうなっていたか分からない。それは本当に紙一重だったぐらい、「この先に幸せなんかあるの?」っていうのはすごく思っていた。特に高校のときは受験もあったりしたから、選別されていく感じが、本当にギプスをはめられていくような気がしてましたね。映画の世界に入ったら、やっと解き放たれたという感覚があったから、飯なんて食えなくても、それからずっと30年、やってこられたんですよね。
守】 本当にその映画サークルとの出合いが大きなポイントだったんですね。
成】 僕らの世界は実力だけなんで、フェアなんですよね。ずるいことしたり裏技使ったり、お金を積めばいい監督になれるわけではない。その公平さが自分の気質に合ってたんでしょうね。ただもちろん残酷な部分もありますよ。でも、そこも含めて合ってるのかな。
守】 映画の仲間との出会いは?
成】 映画って監督一人じゃ何にもできないんですよ。結局仲間との信頼関係が大切。それは今でもそうなんですけど。特に監督って美術や撮影みたいな専門的な職業と違って、誰でもできるっていえば誰でもできるポジションなんで、いいスタッフや俳優とどれだけ巡り合えるかが大きいんですよね。その感じも好きなんでしょうね。あと、映画の仕事が楽しいのは、どんなに長いロケに行っても1カ月2カ月で解散するんですよ。で、まったくのフリーに戻る。そこで発注がなくなればプー太郎なんですけど(笑)。だからこそ次はどの企画をやろうかとか、脚本メインで監督はちょっと休もうとか、選ぶことができるんですよね。
守】 解散するとは言っても、人と人とのつながりができて、また次の作品につながっていくんでしょうね。
成】 もちろんそうですね。一度仕事をした若い俳優に声を掛けて、また1年後一緒に仕事をして成長してたりすると、「おお、頑張ってるな」と思う。ずっと一緒にいるわけではないんですけど、自然とチーム≠ニいう感覚ができてきますよね。
守】 これまでの作品歴を見てみると、堤真一さんなど、いくつかの作品に出演されている俳優さんもいますよね。
成】 そうですね。助監督時代から考えると、一番多く仕事をしてるのは役所(広司)さんかなあ。もう20年以上の付き合いになりますかね。
守】 スポーツ界で監督と選手っていうと、厳しく指導したりされたりっていうイメージもあるけど、映画の世界での監督と役者の関係っていうのは、どんな感じなんですか?
成】 山田洋次さんだったらそうかもしれないけど、僕たちはわりと同世代で仕事をしてるから、そんな感じでもないですね。まあでもやっぱり組によって違いますよ。すごく高圧的な監督もいれば、フレンドリーな監督もいるし。
守】 僕が今日ぜひ聞いてみたかったのは、俳優さんたちの演技を、自分が意図している方向にどうやって導いてるのかなと。特に『八日目の蝉』で薫役を演じた渡邉このみちゃんとか、どうやってあのような難しい役が演じられているんだろうとか思うんですよ。僕は教員だから、授業中このやる気のない生徒をどうしたもんだろうっていうのがあるので(笑)、興味があるんですよ。
成】 昔、ドキュメンタリー番組で小澤征爾さんが言ってたんですけど、小澤さんは今でもタクトを振るとき、師匠のカラヤンのやり方でやってるそうなんですよ。それは「相手をインバイトする」っていうこと。
守】 インバイト?
成】 リスペクト(尊敬)ではなくて、インバイトは相手の持っているものをすべて受け入れる。そこに変な細工をしない。僕らの世界で言うと、美空ひばりを呼んでるのに、都はるみの歌を歌わせようとしたらダメだって話なんですよ。美空ひばりが歌えるもののベストを歌わせるようにこっちは考える。カラヤンはベルリン・フィルにマリア・カラスとかいろんなオペラ歌手を呼んで振る時も、必ずインバイトしたっていうんですよね。「お好きに歌ってください」から始まるんだけど、3日リハーサルすると、カラヤン独特の曲調にいつの間にかなっていて、全部名盤として残ってる。この話はすごく勉強になったと思ってます。高校時代、あれはダメこれはダメって、求めるものを否定されるのが嫌だったっていう思いがあるので、「全部いいよ、そのままでいらっしゃい」と。そこから何がしたいんだ、何が嫌なんだ言ってみろって、全部裸にしていくわけですよ。どんな年齢、性別の俳優でも、太陽と北風じゃないけど、「周りが何と言おうとそのままでいいよ、それで歌ってみろ」ってインバイトしてあげることによって、ちゃんと子どもでも歌うんですよ。それがだんだん楽しくなってくるから、最初は「やだやだ〜」って泣いてた彼女も、最後は「終わっちゃうのやだ〜」って泣くようになるんですよね。だからいろんな俳優さん、スタッフと仕事する時には、その人の持っている人間としての美点というのかな、良きところを伸び伸びと伸びやかに出してもらえるように、考えるというのが、仕事をする上で一番大きいところですね。
守】 そうやって、その人なりの光が出るようになるまで、ある程度時間はかかるものですか?
成】 限られている撮影期間の中で、できる限りやっていくってことなんだけど…。映画の世界でも、あいつは面倒くさいぜって言われる俳優もいるけど、うちの組に来るとそんなに問題は起きないんですよ。それはたぶん、そのやり方だから。自分のタイプを俳優に押しつけ過ぎちゃうと、黒澤監督と勝(新太郎)さんのようにぶつかって、どっちかが降板てことになるんだけど。美空ひばりの歌が聞きたいからキャスティングしたわけで、そこで都はるみの歌を歌ってくれって言う演出の方がおかしいと僕は思う。でもけっこう多いんですよ、そういう監督。で、「俺が選んだんじゃねえ」って後で言う。だったらお前が降りろよっていう話なんだけど。
守】 そうなんですね。非常に深い話で勉強になります。目の前にいる生身の俳優やスタッフがどんな人かをちゃんと捉えた上で、伸び伸び仕事できるようにといろいろ配慮されていることがよく分かりました。それが成島さんの映画の根底にあるんだなということを感じました。
成】 例えば鑑定士って、僕らから見るとなんで分かるの?って思うけど、30年やっていれば目利きになれる。監督は人間を見る目利きじゃないとやってられない。それは特別な才能が僕にあるわけじゃなくて、やっぱり積み重ねだと思います。
守】 自分が思い描くイメージになかなか作品が進まない時は、どうやって状況を打開しますか?
成】 まずそうならないために、シナリオにものすごく時間をかけるんですよね。ロケハンっていう準備もあって。ほかの映画の組はあんまりしないんだけど、僕の場合はリハーサルもけっこうやらせてもらう。そこで俳優とコミュニケーションを取って、こっちの意図を伝えて、俳優がどうしたいかも確認して現場に入ると、イメージと違うというようなことはだいぶ減るんですよ。それでも起こってしまった場合でも、リハーサルをしてることによって俳優ともコミュニケーションが取れているから、「ああこうなっちゃったよ、どうする?」「じゃあ監督、こうしようか」っていうふうに対応できるんですよね。今映画界っていうのは厳しい状況で、不景気で予算も縮小されてるから、以前だったら3日かけられたものを2日で撮らないといけない。だからその分、準備に時間をかけないといけない時代になってきてるんですよね。
守】 最終段階に行く前に、十分もみ込んでおくってことですね。
成】 そうですね。それと、準備の時点で、イメージ通りにいかない可能性がある箇所を予知しておくってことですよね。
守】 教員には、研究授業っていうのが時々あるんですよ。学習指導案っていって、こういう意図で、こういう授業展開で、子どものこういう深まりを期待しています、っていう企画書を出して授業に臨むんですけど。当然生身のハプニングもあったりして、計画通りに進まないことが多いんです。そういう時に、うまく乗り切れる先生っていうのは、学習指導案を作るときにあらゆることを想定しまくって、そこに書いてなくても背景にたくさんの選択肢を持っておく。臨機応変の技がきくんですよね。それがやっぱり若い先生とかだとうろたえちゃう。
成】 それは僕らの世界も同じですよ。
守】 ちなみに「八日目の蝉」の2人が捕まるシーンね、このみちゃんが振り返って「きて!」って言う。クライマックスの中でも頂点かなと思うんですが、あのシーンの撮影にまつわるエピソードなどはありますか。
成】 そんなに多くは回してないような気がしますね。一応順番通りに撮っていたので、彼女にとってあれがラストのシーンだったんですよ。「この映画が終わるんだ」っていうのが分かるんで、寂しいんですよね。永作(博美さん)とも寝食を共にさせたんで、すごく仲良くなってたから。永作の方もそれが一番の役作りだっていうことで、ずっと一緒にいたんで、それでお別れになるっていう気持ちもあったんでしょうね。
        ◇
守】 ちょっと映画の話と離れて、現在の趣味やプライベートな話を…。
成】 今は仕事があるんで、東京と房総の二重生活にしてます。東京は新宿近くの古いマンションを仕事場にして、寝泊まりもそこで。千葉の家は古い農家を借りてて、庭で畑をやってます。釣りに行ったりとか。映画監督やってると、50人から100人近いスタッフに囲まれて何カ月か仕事をするので、今度は孤独な時間がほしくなる。それで脚本家に戻ると、千葉の家で仕事をして、ずーっと孤独でいると寂しくなるから、また仲間がほしくなってっていう、この繰り返しのパターンが一番理想なんですけどね。ただここのところ監督作品が続いてるんで、なかなか田舎の生活ができないんですけどね…。
守】 アカデミー賞を受賞された後も各賞受賞されたりして、ますますお忙しくなってるんじゃないですか?
成】 ありがたいことですけどね。
守】 今後の作品についてテーマや分野の方向性などは決まっていますか?
成】 若いころは何でもやってやろう、見てやろうって感じだったんで、わりといろんなことを映画でもやってきたんだけど、『孤高のメス』ぐらいからやっぱりいろんなことを考えるようになって、世の中に何か還元したいというのかな、人のためになる映画を撮りたいという気持ちが今は強いですね。自分の感性や主義主張でやってる監督は同世代でもいるんで、僕はそういうセンスではどこかかなわないと思っているから、一つのメッセージというか大事にしないといけないことってなんなの?みたいなことを意識している。『八日目の蝉』でいえば親が子を殺し、子が親を殺すなんて国はほかにないですからね、そのことは撮りたかった。『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を撮ろうという時に思ったのは、小学生とか中高生が、アメリカと戦争をしたことを知らない、たった70年前に300万人が死んでるのに知らない、そんな国も世界で日本だけですよ。臓器移植の問題にしてもどっちが正しい、正しくないはお客さんが持ち帰って考えてくれればいい。説教をするつもりは全然なくて、こんなことが世の中にはあるからちょっと考えてみたら、っていうね。それとか、子育てに疲れて明日子どもを殺して自分も首をつろうかなと思っていたお母さんが『八日目の蝉』を観たことによって、明日も頑張ってみようかと思ってくれれば一番うれしいんですよ。
守】 今回の対談にあたって『孤高のメス』を見返してみたんですけど、深いメッセージ性や社会への訴えかけを感じましたし、『八日目の蝉』も女性が観ればいろんなことを感じるでしょうね。八日目っていうことの意味が映画を観て初めて分かりました。
        ◇
守】 今回お話ししたことで、同窓生に何か伝わるものがあればいいと思いますし、自分は教員なので、今甲府東高にいる諸君が同じ学び舎から巣立った人にこういう人がいて、こんなことを考えていたと。同じような感覚の子もおそらくいるんですよね。そういう子たちの刺激になってくれればいいかなと思うし。
成】 高校時代なんて、楽しいことはあんまりないんです、たぶん。僕らの世代で、例えばサッカーの中田とかTHE BOOMの宮沢とか、いわゆるいい生徒とは言えなかったかもしれないし、先生からみたらかわいい生徒ではなかったかもしれないと思うんですよ。彼らも居づらかったんじゃないかと思うけど、ただ大人になっていけば、少しずつそのギプスが外れてくっていうのを高校生には信じてもらいたい。いろんな道や、それぞれのタイミングっていうのもあると思うし、高校時代に体質に合わない子もいる。学校が好きで好きでっていう子ももちろんいると思うけど、やっぱりその、ちょっと個性があって居づらいっていう子たちに何とかつぶれずに頑張ってもらいたいですね。
守】 自分自身のこだわりと同時に、自分自身を見つめたり、何かに問いかけたりする力は失っちゃいけないですね。それがなくなると自暴自棄になったり、訳が分からなくなったりしてしまうことにもなると思う。
成】 学校の先生は嫌でも、ほかに何か救ってくれることと出会えればよかったのかなーとは思いますけどね。僕はなかったのできつかったんですよ。高校時代に映画とかに目覚めていればもうちょっと楽だったかもしれない。
守】 今って成績優秀でそこそこの大学に行って、この就職難にうまく就職できても、3年以内に離職する人がすごく多いんですよ。教員もそう。
くじけやすいっていうのもあると思うし、合わない人ともうまくやっていける力とか、そういう面の教育に関しても学校は変わらないといけないという指摘もあるし、現場も承知している。キャリア教育という、小さいころからコミュニケーション力などを育てる訓練もあるんですが、なかなかうまくいかない。それがうまくいけば、成島さんみたいな気骨のある人間が育ってくれるのかなと。
成】 『草原の椅子』はパキスタンで撮ったんですけど、日本から見てると治安とかいろんな問題があっても、あっちの子どもはすごくいい顔をしてて、「将来何になりたい?」って聞くと「先生!」っていう子がすごく多いの。「お巡りさん」とかね。立派な人に、自分も頑張って将来なりたいって言うんですよ。その子たちと話してると、「ああ、この国は大丈夫だな」というか、少なくともこの子たちは大丈夫だなって思う。その子たちが戦場に行かなきゃならないっていうのがキツイところなんだけど。日本でも昔はこういう子どもたちだったもんなっていう感じでかわいいんですよね。生き生きしてて、夢が先生だからね。  


文:17期 長坂 実和子
撮影:21期 佐藤 陽介

平成24年度 甲府東高蒼龍賞 

平成24年度 甲府東高蒼龍賞 受賞者


成島 出(なるしま いずる)さん(1期生)


1961年甲府市生まれ。甲府東高校を卒業後、駒澤大学の映画サークルで映画製作に取り組む。1986年、大学在学中の監督作『みどり女』が「ぴあフィルムフェスティバル」にて入選。その後、助監督や脚本で『T.R.Y.』や『クライマーズ・ハイ』など数々のヒット作を手掛ける。2003年の初監督作品『油断大敵』では、第23回藤本賞新人賞など複数の新人賞を受賞する。さらに、2005年製作の『フライ,ダディ,フライ』で第20回高崎映画祭若手監督グランプリを受賞。以降も多数の賞を次々と受賞し、日本を代表する映画監督として活躍する。
2012年、第35回日本アカデミー賞において、『八日目の蝉』で最優秀監督賞を受賞し、同作は最優秀作品賞など計10部門で最優秀賞を受賞する快挙を遂げた。
その後は、山梨県や甲府市からの表彰にくわえて、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、その功績は多方面から高く評価されており、今後ますますの活躍が期待されている。
2013年の春には監督作『草原の椅子』が公開予定。


おもな作品
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)監督
『八日目の蝉』(2011年)監督
『孤高のメス』(2010年)監督
『ラブファイト』(2008年)監督
『クライマーズ・ハイ』(2008年)脚本
『築地魚河岸三代目』(2008年)脚本
『ミッドナイト イーグル』(2007年)監督
『フライ,ダディ,フライ』(2005年)監督
『油断大敵』(2003年)監督
『T.R.Y. 』(2003年)脚本

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